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執筆者の写真aki

秋の気配

更新日:2018年11月8日

涼しくなってきたことだし

山を歩こう



モワッとしたり 風邪ひきそうかも 頭が痛くなりそうな時

山道を歩く

葉っぱが少し枯れ始めてる

蛇と出会ったり

蜘蛛が巣の上で待ってるのを観察したり

きのこがいろいろ

紺色の蝶が案内してくれ

枯葉の上をカサコソと

歩く

汗が出て 元気がでる



季節の移るとき

この細かな空気の変化を言葉にするのは難しい

カラダは分かる この匂い この空気の感触

でも、それを表現するって どうやって

簡単な答えはないけれど たぶん

よくよく 見て 聞いて 匂って 感じて 踏んで

繰り返し

この複雑な変化をできるだけ丁寧に感じてみるしかない

作品の制作中に、ヨシダダイキチさんといろんなやり取りをした中で、「芸」について話したことがありました。

「有名な華道家が、誰もが見過ごす道端の花に美しさや

季節の移ろいを感じられないなら、その人は、美しい花を生けられるのでしょうか?

では、

誰もが見過ごす道端の花に美しさや季節の移ろいを感じることのできる人は、その美しさを生け花にすることができるのでしょうか? ・

生け花にするのに、当然、切り方などの技術や道具も重要ですが、その花に関連する言葉や詩や物語、時間に関連した色の違いやその辺か、飾る場所の構造など、、それら膨大な関連性が必要です。

なぜなら、花自体を超えた普遍の美の瞬間を目指しているからです。

普遍の美とは

一つの存在の中に、全宇宙全ての存在があり、全宇宙全ての存在の中に、一つの存在がある。

・一瞬の中に永遠があり、永遠の中に一瞬がある。」


それがどう自分に理解されるかわからないけれど

とにかく、

観察、観察、ずーっと観察して、

それを自分を通して移し替え続ける。 それを続けられる人が「芸」を磨ける人で

続ける忍耐力が必要なんだなぁ、と。

太古の昔から 芸能は自然の物語と分離することはなく

季節、気候、時間、数、自然への畏敬の念、人の想いや祈り そういうものが形になって、ダンスや音楽にもなってきた。、

長い歴史のただ一点にいるだけの私たち

分離しすぎたところから、少し自然に戻り

表現という自由な時空間を使って、なるべく純粋に表現していくことで、何万年も前からダンスが表現してきたことを再認識していく

と、

時間も空間も飛び越えて、普遍の美と呼ばれるようなものに触れることができるかも知れない。

リアリティのダンス。

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